《2023.11.6-8》
ブハラの宿でたまたま日本人の方にお会いすることができ、『地球の歩き方ウズベキスタン』をがっつりスマホでスキャンさせていただきました。
インドまでは地球の歩き方を持参していたのですが、ウズベキスタンからは丸腰で情報ゼロだったので、大変助かりました。
歩き方先生によりますと、ブハラは以下のような町です。
ブハラは、中央アジアの見ならずイスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄を誇った町。
9世紀には優秀な宗教者や科学者、商人なども各地からブハラに集まった。
1220年のチンギスハーンの来襲で町は一度は灰燼に帰すが、16世紀には再び蘇り、多くのモスクやメドレセが建設された。シルクロードの面影を色濃く残すブハラ旧市街の街並みはこの頃に完成し、今日までほとんど変化していないという。(一部要約)
ウズベキスタンには、『ブハラの両替商のように目を見開いて』という比喩表現があるんだそうです。
日本人が「耳の穴かっぽじってよく聞け」とか言うような感じで使うんでしょうか。
「ブハラの両替商のように目を見開いてよく見とけ!」みたいな…。違うか。
では早速、ブハラの町歩きに行ってみましょう!
世界遺産にもなっているブハラの旧市街は、徒歩でも十分回れる規模です。
まずは、町のシンボル的な存在であるアルク城。
城は何度も破壊と再建を繰り返し、現在の建物は18世紀のものだそうです。
13世紀にかのチンギス・ハーンが来襲した時には、この城塞の中に多くの住民が立てこもり抵抗したものの皆虐殺されてしまったという歴史があります。
城塞の入り口横の部屋はかつて牢獄として使われていたそうで、当時の様子が再現されていました。
入り口のすぐ横って、一番逃走しやすそうな場所な気がするのですが…そんなことないんでしょうか。
中は、大きな城がドンと構えているとかではなく、色々な建物が点在している感じです。
写真のこれは、モスクだった場所です。
こちらは王座の間。
ブハラの歴代の君主は残虐で、この城では随分多くの市民が虐殺されたようです。
かつて居室などに使われていた部屋は博物館になっています。
一つひとつは大きくありませんが、全部で3つほどあるので中々見応えがあります。
アルク城の門の向かいには、ボラハウズ・モスクというモスクがあります。
1712年に造られたこのモスクは、アルク城に住むハン(君主)専用だったそうです。
ボラハウズモスクから少し歩いたところにあるのが、チャシュマ・アイユブ。
中には聖なる泉が湧き出ていて水の博物館になっているようですが、入場していないので詳細不明。
チャシュマ・アイユブから徒歩数分のところにあるイスマイール・サマニ廟。
近年作られたかのような一切破損の無い完璧な建物ですが、892年~943年に建設された中央アジアに現存する最古のモスクだそうです。
モンゴル来襲で町のほぼ全ての建物が破壊される中、このモスクはほとんどが土の中に埋もれていたため難を免れたようです。
保存状態の良い歴史的建造物や遺跡って“埋まってた”とか“忘れられてた”とかいうケースが多いですね。
イスマイール・サマニ廟の近くには市場があります。
デフコン・バザール(市場)。
観光地というよりは地元の人が買い物に来る場所といった雰囲気で、とても良い雰囲気です。
ここで食べたサモサが最高でした。
ウズベキスタンのサモサは、生地に肉や野菜を包んで焼き上げたものです。
外はパリパリ、中はジューシーで肉汁(もちろん羊)たっぷり、おまけに焼き立てのアツアツで感動のお味でした。
この後もいろんなところでサモサを食しましたが、ここの市場のが一番美味でした。
しかも、お値段一個3000スム(35円)!
店の名前も無いような通路みたいなところで売っていたのですが、この市場に行く際には必食です。
旧市街の中心に戻りまして、この池はラビ・ハウズ。(池ほぼ写ってないけど)
池の周りにはレストランやカフェが集まり、皆さんの憩いの場になっています。
遠足らしき小学生たちが通りすがりましたが、皆おめかしをしていてとてもかわいかったです。
引率の先生のおめかしもすさまじく、まるでこれからコンパにでも行くような気合の入りようでした。
池の横の木陰で休んでたら、巨大な生肉の塊を持った人が走ってきました。
私がガン見していることに気付くと、わざわざ生肉を構えてこちらを振り返ってくれました。
レストランの厨房でお肉足りなくなっちゃったのかな。日本なら“生肉むき出しは食品衛生法がなんちゃら…”みたいになりそうですが、その辺こちらはとても大らかなようです。
池のすぐ隣にはナディール・ディヴァンベギ・メドレセという1622年建設の神学校があります。
当時の大臣はこの建物を商人の宿として作り始めたそうですが、建設中の建物を見た王様が「こりゃ素晴らしい神学校だなぁ!」などという発言をしたため、急遽神学校にしたらしいです。
中にはお土産屋などがあり、申し込めば夕方民族舞踊のショーも見られるようでした。
池の近くには、絨毯博物館なるものがありました。
現在博物館となっているこの建物は、マゴキ・アッタリ・モスクという歴史あるモスクなんだそうです。
入場していないので、中の詳細は分からず。
所変わってこちらは、カラーン・モスク。
1541年に造られた歴史あるモスクで、9000スム(100円くらい)で中に入れます。
現在も現役のモスクとして使用されていて、中はとても静かで落ち着く空間です。
モスクの横にあるミナレットは、18・19世紀に死刑場となり、袋に詰めた死刑囚を上から投げ落として処刑していたんだそうです。
なんて残虐なことをするのでしょう…。いくら昔のことであっても気が知れません。
歴史は繰り返すと言いますが、こんな歴史はぜひ繰り返さないでもらいたいです。
旧市街の少し外れのほうにあるこちらは、チョル・ミナル。
チョル・ミナルとは『4本のミナレット』という意味だそうで、まさに見たまんまのネーミングです。
200年ほど前に、大富豪が神学校の門番小屋として建てた建物だそうです。
昔は4つのミナレットの上にコウノトリが巣を作っていたそうです。
一昔前まで、ブハラの町には『ハウズ』と呼ばれる人工池が数多くあり、水場に生息する虫やカエルを餌にするコウノトリが沢山いたんだとか。
疫病への懸念から、現在はほとんどのハウズの水が抜かれてしまい、コウノトリもすっかり姿を消してしまいました。
今は、町の土産物の定番である“コウノトリのハサミ”にその名残を見ることが出来ます。
丁度前髪を切るはさみが欲しかったのでよほど買おうかと思いましたが、コウノトリで前髪を切ってる自分を想像して何となくやめました。
コウノトリのハサミは、タキと呼ばれるバザールで買うことが出来ます。
このバザールは100%ツーリスティックな市場で、ウズベキスタンっぽいお土産ならなんでも揃います。
例えば絨毯とか、
ランプとか…
ブハラは、ディズニー映画のアラジンの世界観にぴったりマッチする雰囲気の町なのですが、たぶん各土産物店はそれなりにそのことを意識していると思われます。
絨毯はもともと名産なのかもしれませんが、ランプは確実にアラジンにあやかろうとしている気がしてなりません。
土産物屋の中には、店名が思い切り“Aladdin(アラジン)”だったり、ディズニーのアラジングッズ売ってる店もあったりなんかして…。
ちなみに、実際にアラジンのモデルになった場所はどこなのか調べたところ、有力候補はインドのアグラなんだとか。
…インド?!
それは無いでしょ。アラジン手づかみでカレー食べてなかったし、道に牛とかゴミとか無かったし。
たぶん、タージマハールのフォルムが似てるだけ…。
いや、でもたしかに王妃ジャスミンの雰囲気はインド人女性の醸し出すそれに似ている気もします。
実写版アラジンでジャスミンを演じた女優さんも、インド人のハーフのようですし。
いつかボリウッド版アラジンとかやってほしいなぁ。
…って最後全然関係ない話になりましたが、以上、ブハラ観光でした!
次回は、ウズベキスタン西部の都市ヒヴァに行ってみたいと思います!
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