《2024.2.4-6》
ローデンブルクを離れ、次の街へと移動していきます。
目指すは、ニュルンベルク。
本当は一気にオランダとの国境に近いケルンを目指したいのですが、ローデンブルクからケルンはアクセスが悪く時間とお金がかかりそうなので、中継地点として立ち寄ることにしました。
世界史にも地理にも疎い私にとっては、全く聞き覚えの無い名前の街ですが、一体何があるのでしょうか?
早速行ってみたいと思います。
ローデンブルクからニュルンベルクへ
ローデンブルクからニュルンベルクも、前回同様ドイツ鉄道で移動していきます。
ローデンブルクはドイツ屈指の観光地にも関わらず、安さと便利さでお馴染みのFlixBusが走っていません。
きっと需要あると思うのですが…。
仕方がないので、今回もちょっぴりお高めなドイツ鉄道にお世話になります。

ローデンブルクからニュルンベルクは、2回乗り換えがありました。
所要時間は、乗り換えも含めて1時間13分。
お値段は20.9ユーロです。

各駅のプラットホームにはこんな感じの電光掲示板があり、チケットに書かれた番号と照らし合わせれば迷わず乗車することができます。

電車は定刻通りに無事ニュルンベルクに到着。
2回乗り換えて計3本の電車に乗ったのですが、その間一度も乗務員によるチケット確認はありませんでした。
ドイツ鉄道は信用乗車なので、乗る前に改札もありません。
これでは誰でも無賃乗車可能だと思うのですが、ドイツにはそんな悪い考えを起こす人がいないのでしょうか?
電車もガラガラに空いてたし、このやり方で赤字にならないのか謎です。
ニュルンベルクの宿
ニュルンベルクでは、a&o Nurnberg Hauptbahnhofに泊まりました。

駅から近く、Flix Busのターミナルまでは徒歩30秒と抜群の立地。
施設は新しくて綺麗だし、キッチンや共用スペースも広々していて設備は充実しています。
お値段ドミトリー一泊18ユーロ。
この宿は、施設の充実度の割には口コミ評価が低いのですが、その原因は安さ故に色々な人が集まってしまうことにあると思います。
私が宿泊した際には、インド人の一行がキッチンでものすごい強烈な臭いの羊肉を調理し、『どうすればこんなに汚せるの?』と不思議になるくらいシンクや床を汚した挙句、使った食器や調理器具を一切片付けないままキッチンを立ち去っていきました。
別にインド人だけがマナーを守らないわけではないと思うけど、目の当たりにするのはなぜかいつもインド人なんだよなぁ・・・
宿自体は快適なので、出会う客のガチャにはずれさえしなければ大変おすすめの宿です。
ニュルンベルク街歩き
宿に荷物を置いて、早速街歩きに出かけます。

こちらはニュルンベルク中央駅。
大変大きくて重厚感ある建物です。

駅の向かいには、ケーニヒ門という旧市街へと繋がる門があります。

ケーニヒ門をくぐると、中世ドイツの町を再現した職人広場が広がっています。
可愛らしいお土産屋さんや美味しそうなソーセージ屋さんなどがありますが、観光地価格でとても手を出せません。

職人広場を抜けると、そこは旧市街。
とても雰囲気の良い街並みです!

通りを進んでいくと、大きな教会がありました。
聖ローレンツ教会という教会だそうです。

中は大変立派なゴシック建築なのですが、上の写真を見てなんとなく違和感を感じる人はいないでしょうか?
飾られている彫刻や祭壇などの年代はとても古いのに対して、建物がとても新しく感じられるのです。
これは、第二次世界大戦でこの教会が大きな被害を受けた為です。

こちらは教会内に展示されている1945年当時の教会の写真。
正面部分だけを残して、ほぼ全壊していることが分かります。
今ある建物は、以前の姿を復元して修復されたものなのです。
ニュルンベルクは、ドイツ国内でも特に戦争での被害が大きく、旧市街はその90%が破壊されたと言われています。
街の人は遅かれ早かれニュルンベルクに戦禍が及ぶことを予期していたため、教会内部の歴史ある祭壇や彫刻、宗教画はあらかじめ安全な場所に移され、焼失を免れたのだそうです。
その為、現在では新しい建物と歴史ある彫刻などが融合した独特な雰囲気となっているのです。

通りをさらに進み橋を渡ると、ニュルンベルクの中央広場(ハウプトマルクト)があります。
毎年12月には、ここで大規模なクリスマスマーケットが開かれます。
ニュルンベルクのクリスマスマーケットは、ドイツの中でも特に古い会場の一つで、毎年盛大な盛り上がりを見せるのだそうです。
その名残なのか、私が行った時(2月)にも広場には少しだけ露店があり、お菓子やソーセージ、ビールなどが売られていました。

広場の一角には、「美しの泉(シェーナー・ブルネン)」と呼ばれる水場があります。
14世紀に建てられたというこの水場は、長年市民によって大切に守られ、第2次世界大戦中はコンクリートで覆われて爆撃による破壊を免れたのだそうです。

この美しの泉の周りを囲う鉄柵には、継ぎ目のない金の輪がはめ込まれています。
この金の輪を回すと、願い事が叶うという言い伝えがあるとのこと。
回す回数は諸説あるそうですが、どれが正しいか分からないので私はとりあえず多めに回しておきました。
今のところ、願い事はまだ叶っておりません。

こちらは、広場に面して建っているフラウエン教会(聖母教会)。
13世紀に建てられた歴史ある教会ですが、こちらも第2次世界大戦では爆撃により跡形も無く崩壊。
その後、瓦礫を一つ一つ積みなおして再建されたという有名な教会です。
教会の壁にはからくり時計がついていて毎日正午に動くようです。
再建とはいえドイツ最古のものとのことなのでぜひ見てみたかったのですが、時間が合わず見ることはできませんでした。
教会自体も、時間帯が悪かったのか閉まっていて中に入れず残念。

広場の近くには、もう一つ大きな教会があります。
こちらは聖セバルドゥス教会。
この教会も、他の教会同様戦争で大きな被害を受けて破壊され、戦後にその瓦礫を集めて修復作業が行われました。
その為、外の壁や彫刻には所々焦げたような黒ずんだ跡が見られます。

内部は先ほどの教会同様、新しく修復された建物に、古い彫刻などが取り付けられています。
ステンドグラスの大きな窓から明るい光が入り、何だか現代の平和な街を象徴しているように感じられます。

引き続き旧市街を進み、坂を登っていくとニュルンベルク城がありました。

ここは、神聖ローマ帝国時代には約500年間も皇帝の居住地として使われた城なのだそうです。
ここも、戦争で大きな被害を受けたものの、破壊される前の状態を再現する形で修繕されて今の姿になっているそうです。
入場料が割とお高かったため、建物の中には入りませんでした。

城は丘の上にあるため、ニュルンベルクの旧市街を一望することが出来ます。
中世の趣を感じる美しい街並みです。
約80年前にこの街の9割が破壊されたとは、今の街の姿からは想像もつきません。

丘をくだり、来た時とは違う道から駅方面へと戻ります。

城から程近いところにあるこちらの建物は、アルブレト・デューラー・ハウスという博物館。
15世紀末から16世紀に活躍したニュルンベルク出身の画家アルブレト・デューラーが亡くなるまで住んでいた家だそうです。
人気の観光地で、日本語オーディオガイドも借りられるそうですが、私はアルブレト・デューラーさんが誰かもよく分かっていないため、ここはパスです。
この博物館の近くには、ものすごく映えるドイツらしい町並みがあります。

それがこちらの通り。
ヴァイスゲルバーガッセと呼ばれる通りだそうです。
場所は上の地図の辺りです。
そんなに長い通りではありませんが、ドイツっぽい街並みの写真を撮りたい人は必見のポイントです。
ヴァイスゲルバーガッセを南に進んでいくと、ヘンカーシュテークという橋があります。

ヘンカーシュテークとは、直訳すると『死刑執行人の橋』という意味なのだそうです。
中世から19世紀頃まで、この橋の中州には死刑を執行する役人がひっそりと住んでいたのでその名前が付けられたのだそうです。
その暗いネーミングとは裏腹に、現在のヘンカーシュテークはニュルンベルク有数の映えスポットとして観光客に大人気です。

ヘンカーシュテークの南側は、ショッピングエリアになっていてアパレルショップなどが並んでいます。
上の写真に写っている塔は、ホワイトタワーと呼ばれる塔で、地下鉄の駅になっています。

ホワイトタワーの前の広場には、結婚カルッセル(エーエカルッセル)の泉という有名な噴水があります。
結婚生活における6つの象徴的な場面を表しているというこちらの噴水ですが、、、

え・・・。これが・・・?
骸骨になってまで夫の首を絞める妻。
結婚生活ってこんなかんじなんですか?
独身者の夢と希望を奪う恐ろしいモニュメントです。
余談ですが、このエーエカルッセルのある広場を南西に進んだあたりには、日本ではありえないようなどえらい風俗街があります。
場所は↑の地図の辺りです。
通りの写真を撮っただけで罰金を取られるようなので画像は一切ありませんが、通りの両サイドにはガラス張りの風俗店がずらっと並び、ものすごく際どい恰好の(というか色々見えてる)セクシーなお姉さんがガラスの向こうから通行人を誘惑してきます。
私はそれとは知らずぶらぶらと歩いていたところ偶然この通りに迷い込んでしまい、あまりの過激さに一目散に小走りで退散しました。(チラチラ見ながら。)
皆さまニュルンベルクに行く際には、私のように迷い込まぬようどうぞお気を付けください。
旧市街の街歩きは、こんな感じで終了。
歩いて回れるくらいの範囲にドイツらしい街並みが広がっていて、思った以上に素敵な街でした。
・・・・・・・・・・
さて、度々触れてきましたが、ここニュルンベルクは第2次世界大戦で大きな被害を受けた街です。
一見中世から残っているように見える建物も、そのほとんどが以前の姿を再現して修復されたものです。
なぜこの街がそんなに大きな被害を受けたのか、その理由を現在に伝える建物がニュルンベルクの街のはずれに残されています。

こちらがその、コングレスハレ(ルイトポルトホール)という建物です。
ここではかつて、ヒトラーがナチスの党員を集め、大規模な党大会が何度も開催されていました。
ニュルンベルクは、神聖ローマ帝国皇帝が長年居住し、中世から続く伝統ある都市として知られてきました。
ヒトラーは、そんなニュルンベルクの“ドイツらしさ”を大変気に入り、この街をナチスの重要な拠点としたのだそうです。
1935年にユダヤ人の公民権を剥奪する内容の法律が制定されたのも、ここニュルンベルクでした。
その法律は地名をとってニュルンベルク法と呼ばれています。
戦後この街ではナチス政権の要人を裁く裁判が行われました。
ニュルンベルク裁判と呼ばれるその裁判では、12人のナチス高官に死刑判決が言い渡されたそうです。

ルイトポルトホールは戦争末期に空爆を受けて屋根などは破壊され、現在残っているのは外側の丸い外壁のみです。
しかし、その広さを実際に目の当たりにすると、ここにかつて5万人もの人が集まってヒトラーの演説に熱狂していた様子がぼんやりと頭の中に浮かびます。

ルイトポルトホールの隣には、帝国党大会会場文書センターという資料館があります。
残念ながら展示はドイツ語のみのようですが、ナチスがどのように始まりどのようにして終わったのかを知ることが出来るようです。(私は時間が無くて入れず)
分かったようなことを長々と書いてしまいましたが、私は今回この街に来て初めてこの街が辿った歴史を知りました。
何も知らなければ“中世っぽい可愛い街”で終わっていたであろうニュルンベルクの街。
しかし、いざその歴史を知ると、一見古くからあるように見える建物の一つ一つは『街を元に戻したい』という人々の願いと努力の上で建っていることが分かります。
街を歩くときには、ただ表面だけをみて『可愛い』とか『映える』とかいうことにとらわれるのではなく、やっぱりきちんとその歴史も知りたい。
ニュルンベルクはそんなことを改めて感じさせてくれた街でした。
次回は、ドイツ第4の都市ケルンへと移動していきます。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
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