《2024.1.16-17》
ドナウの真珠と言われる美しいブカレストの街を離れ、次の目的地へと向かっていきます。
ハンガリーのブダペストからポーランドのクラクフへ
向かうのは、ポーランドの南に位置するクラクフという世界遺産の街です。
ハンガリーとポーランドの間にはスロバキアがありますが、今回はスロバキアは寄らず、突っ切ってしまおうと思います。
ブダペストからクラクフまでは、直行バスが出ています。
私が調べた時にはFlix Busが最安値で、お値段は24.99ユーロ(約4000円)でした。
8時55分発、16時25分着予定です。
車内は清潔で快適。
バスは定刻通り、ブダペストのNépliget bus stationを出発。
やや経ってからふとGoogle Mapを見ると、バスはすでにスロバキアに入っていました。
パスポートチェックも何もなかったので、いつの間に入国したのやら気付かず…。
スロバキアからポーランドに入る際には、イミグレ職員らしき人がバスに乗り込んできて一応パスポートチェックがありました。(見せたのみで、回収はされず。)
バスは、16時25分ちょっきりにクラクフのバスターミナルに到着。
予定到着時間と1分も違わず、到着したことにびっくりです。
クラクフの宿
クラクフで宿泊したのは、Green Hostel。
オーナーご夫妻はウクライナ出身とのこと。
「日本はウクライナにたくさん支援をしてくれているから、日本人は歓迎だよ!」と、迎え入れてくれました。
ドミトリー部屋が少々狭いのと、トイレ兼シャワーが建物内に1つしかないので常に混んだり汚れたりしてしまうのが少々難点ではありましたが、1泊1500円以下で泊まれたので特に不満はありません。
立地も◎です。
クラクフ観光
さて、クラクフの街歩きをしていきます。
クラクフは、首都がワルシャワに遷都するまで約600年間も首都として栄えた古都だそうです。
中世の建築物が多く残っている旧市街の歴史地区は、1978年に選ばれた世界で最初の12件の世界遺産のひとつでもあるそうです。
歩いてみると確かに歴史を感じる美しい町並みに目を奪われます。
過度に煌びやかな彫刻や装飾が無い分、何となくずっしりとした重みを感じる街並みです。
街の中心の広場にあるのは、聖マリア聖堂。
13世紀に建てられたそうで、実際に見るととても大きく、歴史ある街並みの中でも一際威厳を放っています。
入場料は15ズウォティ(約550円)。
内部は大変美しいと評判のようなので、ここは是非に入ってみたいと思います!
なるほど、美しい!(語彙力…)
意外だったのは、内部の装飾がとっても色鮮やかだということ。
クラクフの街並みは何となく落ち着いた印象で、この教会も外から見るとクールな雰囲気なのですが、中はまるでファンタジー。
特に、星空のような天井のブルーと星模様の装飾はとても印象的です。
しばらく椅子に座ってじっくり内部の装飾を眺めていたところ、かすかにラッパの音が聞こえました。
この教会では、毎定時にラッパが吹き鳴らされるんだそうですが、演奏は途中で中途半端にとまってしまいます。
これは、13世紀にモンゴル軍がポーランドに来襲した時に、敵の襲撃をラッパで告げた吹き手が、矢で喉を撃たれて亡くなってしまったことを表しているんだそうです。
世界地図ぜひ見てみてほしいのですが、モンゴルからポーランドってめちゃくちゃ遠いですよね。
馬とかしか移動手段がないような時代に、こんなところまで勢い衰えず襲撃してくるとは…モンゴル帝国恐るべし。日本、同じアジア内なのによく無事だったな…。
教会の前の広場には、織物会館と呼ばれる市場。
昔この場所で布地の取引が行われていたことが名前の由来だそうです。
現在は布地が売られている様子はなく、並んでいるのはお土産物やちょっとした衣類などがほとんどでした。
特に目を引くようなものは無し。
こちらは、広場から徒歩15分くらいのところにあるヴァベル城。
ここには、かつてクラクフが首都だった時代にポーランドの王様が住んでいたんだそうです。
入場料が少々お高めだったので中には入らず外からのみ見物。
城からほど近い所にあるBozego Ciataという通りの街角には、バンクシー作品だと言われているとかいないとかいう壁画がありました。
消えかかっている上に落書きまでされていますが、果たして本物なのか…?
さて、このバンクシー作品(?)がある辺りは、カジミエシュ地区と呼ばれるかつてのユダヤ人街です。
第二次世界大戦前のポーランドはヨーロッパ最大のユダヤ人社会があり、クラクフには6万人が暮らしていたそうです。
しかし、1939年にナチスドイツがクラクフに侵攻すると、ユダヤ人は迫害の対象となりました。
1941年にはカジミエーシュ地区の南にある川の対岸にユダヤ人を壁で隔離した1ヶ所に集めるゲットー(居住区)が作られ、ユダヤ人は塀で囲われた居住区を自由に出ることも許されなくなったそうです。
その後、戦況が進むにつれ迫害はより激しさを増し、1943年にはクラクフの全てのユダヤ人が強制収容所に送られたことで、クラクフのゲットーは解体することとなりました。
有名な映画「シンドラーのリスト」は、ここクラクフが舞台です。
かつてゲットーがあった場所には今もその名残があるとのことなので、足を運んでみることにしました。
上の写真が、ガジュミエシュ地区がら南のヴィスワ川を渡ったところにあるかつてのゲットーエリアの街並みです。
建物や街の雰囲気が、明らかに旧市街とは違います。
この塀が、かつてゲットーを取り囲んでいた塀の一部です。
丸いアーチ型はユダヤ人の墓を模していて、塀を見るたびにユダヤ人に精神的苦痛を与える目的があったそうです。
塀は、上の地図の場所に残っています。
椅子のオブジェが並ぶこちらの広場は、英雄広場と呼ばれているそうです。
戦時下では、強制収容所に送られるユダヤ人の集合場所として使われていたそうで、68個の椅子は、6万8千人のユダヤ人を象徴しているのだそうです。
ゲットーがあったエリアの近くには、有名な“シンドラーのホーロー工場”があります。
ドイツ人の実業家シンドラーは、1939年のナチスによるクラクフ侵攻に乗じて、戦争で一儲けすることを狙ってクラクフにやってきました。
しかし、ユダヤ人が殺されていく惨状を目の当たりにし、自分にできることは無いかと奔走。
ゲットーや強制収容所にいた多くのユダヤ人を自身の工場の雇用リストに載せることで、彼らの命を守ろうとしました。
その結果、1200人ものユダヤ人が強制収容所行を免れ、命を救われたそうです。
工場だった建物は現在博物館になり、その入り口には、シンドラーに命を救われた人たちの写真が飾られています。
入場料が千円以上するかんじだったので、悩んだ挙句、博物館には入らず終了。
入っておけばよかったと未だに少し後悔しています。
さて、かつてゲットーがあったエリアを一通り散策して旧市街へと戻る際に、ちょっとした事件がありました。
ヴィスワ川に掛かる、この謎の像が複数くっついたよく分からない橋を渡っていた時のこと。
若干不気味な像を写真に収めつつ歩いていると、警官らしき男が私に向かって一直線に近づいてきました。
警官「#$%&*+$=~*:;%!」(ポーランド語なので何言ってるか意味不明)
私「(英語で)すみません、ポーランド語分かりません。」
警官「あ、そうなの?じゃあ英語で言うね。君は今、ルール違反を犯しました。従って、罰金の対象となります。」
は…?ただ橋を渡ってただけなのに罰金…?
理由を聞いたところ、この橋は自転車用と歩行者用で通路が分かれており、私が歩いていたのは自転車用の方だったので、交通法を犯した罪で罰金の支払いが生じるとのこと。
その金額、50ズウォティ(2000円弱)。
いや…待って。
私の他にも、たくさん渡ってる人いましたよ?!
しかも、私の周りを歩いていたのは、杖を突いたお年寄りや犬の散歩中の人など、どう見ても明らかに地元民ばかり。
なのに、地元民は目に入らないかのように通り過ぎて、私のところまで一直線に近づいてきた警官…。
絶対、簡単に罰金取れそうな外国人ピンポイントで狙ったでしょ!!??
本当に交通安全のための取り締まりなら、これからも毎日この橋を渡るかもしれない地元民のほうを取り締まるべきだよね…?
私、この橋2度と渡らないよ…?
納得がいかずあの手この手で抗議するも、警官は表情一つ変えず、「罰金を払え」の一点張り。
他にもたくさん人がいる中、なぜあえて観光客の私に狙いを定めたのか?と聞いたところ、観光客かどうかは関係ないし、そんなこと、こちらは見分けられない、と。
いや・・・見分けられたからこそ他の人たち何人もスルーして私のところにまっしぐらに向かって来たんでしょうよ。
明らかに地元民ではなさそうな私に敢えて早口のポーランド語で話しかけてきたのは、『観光客を狙っているわけではない』ということを強調するためだったのでしょう。
払わないとどうなるのか尋ねたところ、警察署で身柄を拘束することになると。
埒が明かないので、泣く泣く罰金を支払い。
ちなみに、海外では稀に偽警官が同じようなやり方で金銭を要求してくることがあるそうなのですが、この警官(2人組)は、パトカーの装備や身分証、服装などからして本物だったと思います。
こちらが、その時の書類です。
モザイクの部分には、パスポート番号や日本の住所などの個人情報を書かされました。
橋を渡り切ったところで改めて見てみると、確かに歩行者用と自転車用の標識がありました。
こんなの気付かないよ。
だって他の人も自転車の方歩いて渡ってるし、橋にくっついた変な像に気を取られてたんだもん。
本当に市民の交通安全を守るつもりなら、こんな姑息なやり方で罰金取ってないで、標識をもっと目立つようにするなり、橋の入り口に立って呼びかけするなり、他に出来ることあるだろうに。
大変悔しいです。
・・・・・・・
すっかり嫌な気持ちにさせられてしまいましたが、引きずっても仕方がないので気持ちを切り替えていきたいと思います。
ポーランドは、世界的に有名な作曲家ショパンの出身国でもあります。
ポーランド国内には、母国の偉大な有名人ショパンの曲のみを演奏するコンサートホールがいくつかあるのだそうですが、ここクラクフにもその内の一つがあるとのことなので、夜はそちらに足を運んでみることにしました。
上の地図の場所がそれです。
コンサートは毎夜19時半から開催されるとのことで、19時前頃に行ってみたところ客は私しかいませんでした。
チケットの値段は17米ドルとのこと。
思っていたより高めだったので「いったん考えてみます。」と伝え立ち去ろうとしたところ、すかさず引き留めてくる係のおじいさん。
おじいさん「いくらなら払えるんだい?」
私「うーん、10ドルなら。」
おじいさん「じゃあ10ドルでいいよ。君、日本人でしょ?うちのピアノ、日本のヤマハ製だし。」
…ということで、チケットはたちまち10ドルに値下がりしました。適当だなおい。
もし行こうと思っている方がいましたら、ここのチケットは値切り交渉可能なので、事前にネットなどでは購入しない方が賢明です。
演奏が行われる部屋に通されると、そこはコンサートホールというよりは、ビルの2階の1室という感じ。
チケット代に含まれているグラスワインを飲みながら、開始を待ちます。
壁には、昔小学校の音楽室で見たような気がする有名な音楽家の肖像画がずらっと飾られています。
夜になったら目が動くだの光るだのと言われ、必ず学校の七不思議にランクインするあれです。
誰もいない広くて寒いホールで、大勢の音楽家の視線を感じながら一人ワインを飲むシュールな状況…。
開始10分前くらいになって、ようやくちらほらと他の観客が集まってきました。
いよいよコンサートの始まりです。
上の写真がプログラム。
私でも知っている有名な曲も何曲か含まれています。
こう見えて私、昔ピアノを習っていて、ショパンも何曲か演奏したことがあるのです。
これは楽しみだ!わくわく。
1時間後、コンサート終了。
撮影禁止ではなかったのですが、演奏中の写真は撮り忘れました。
演奏者は、スキンヘッドで筋肉隆々の、スーツの男性。
その見た目は、ピアニストというより、まるでマフィア。
彼の演奏は、まるでロボットのようでした。
ピアニストってこう、体を揺らしたりしながら表現豊かに弾くイメージあるじゃないですか?
彼はその真逆で、肩から先以外は一切身じろぎすることもなく、悲しいメロディーも明るいメロディーも、ただひたすら淡々と弾くのです。
まるで、ただ任務をこなすかのようにプログラム通り次々と演奏を終えた彼は、最後まで一言も声を発することもなく、軽く会釈をしてさっさと退場。
客は一応アンコールの意味を込めてしばらく拍手を続けましたが、彼が会場に戻ってくることはありませんでした。
ねぇ、彼女と喧嘩でもしましたか?それとも持ってる株が下がったとか?
正直、期待してたようなコンサートではなかったけれど、まぁ…10ドルにまけてもらっているし、異国の地でピアノコンサートを聴けたのは良い記念にはなりました。
日によって演奏者は変わるようなので、違う日に行けばまた違った演奏が聴けたと思います。
クラクフの市内観光は以上!
次回は、クラクフからほど近い所にある世界遺産『ヴィエリチカ岩塩坑』に行ってみたいと思います!
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