【ルーマニア③】ブラショフ観光&ドラキュラ伝説のモデルのブラン城へ

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《2024.1.8-9》

ブラショフは、ルーマニアのほぼ中央にある美しい中世の街並みが評判の街です。
近郊にあの有名な城もあることから、ルーマニアを訪れる観光客の大多数が立ち寄る街とのことで、今回足を運んでみました。

ブラショフ街歩き

ブラショフ到着の翌朝は、さっそく街歩きへ。

噂に聞いた通り、とても美しい街並みです。
ブラショフは、13世紀頃にドイツから入植してきたザクセン人によって発展した街なのだそうで、ドイツ風の建築が見どころなのだそうです。

街の中心の広場にある旧市庁舎。
ブラショフは、ここを中心に街が広がっています。
現在は博物館になっているようですが、入らなかったので入場料や展示内容は不明。

こちらはブラショフのメイン通り。
中世を思わせるおしゃれな通りに、アパレルショップやスーパー、薬局など暮らしに必要なお店が一通り並んでいます。

“中世を思わせる”などと分かったようなことを書きましたが、私正直、中世の街並みとはどういう街並みのことを言うのかここに来るまで良く分かっていませんでした。
こういうのが中世っぽい街並みなのですね、なるほど。

こちらは、街のどこからでも見えるほどの巨大な教会。
昔、オスマン帝国軍が攻めてきた際この教会に火を放ち、外壁が焦げてしまったことから“黒の教会”と呼ばれているんだそうです。

中に入るには入場料が必要なため、外から眺めて終了。

こちらはスケイ門。
かつてドイツ移民によって街づくりが行われた際、先住のルーマニア人はこの門より内側に住むことを禁じられてしまったそうです。
現在はもちろんそのような縛りは無く、門の内と外で街並みがガラリと変わるというようなこともありません。

スケイ門を抜けて少し歩くと、おしゃれな教会も。

これは、聖ニコラエ聖堂というルーマニア正教の教会なのだそうです。
こちらも入場料を取っていたので中へは入らず。

町が一望できるスポットがあるというので、そちらにも足を運んでみました。

ここがそのスポット。通称“白の塔”です。
市街地から、山の遊歩道的な小道を登っていった先にあります。

白の塔からの景色は、まぁ確かに絶景。
本当はオレンジ色に統一された屋根がどこまでも広がる光景が見どころのようなのですが、残念ながら積雪で見えず。
雪化粧した街を見られるのはこの時期の特権だと言い聞かせて下山します。

ちなみに、上の写真に写っている街の後ろに聳える山はタンパ山というそうで、そっちにはロープウェイもあり、より高い場所からブラショフの街を見下ろせるんだそうです。

夜は、広場のクリスマスツリーがライトアップされてとても綺麗でした。
もうクリスマスはとっくに終わっているのですが、いつ頃片づけるのでしょうか。
そんな感じで、ブラショフの街歩きはゆるっと終了。

ブラショフの宿

ブラショフで泊まったのは、SECRET boutique Hostel

入り口から何やらスタイリッシュな雰囲気が漂っています。

この宿は、日本人のオーナーさんが経営されているようです。(私が滞在したときは不在でしたが)
だからなのかどうか分かりませんが、施設内はとにかく清潔。
シャワー室も、誰かが使用する度に速攻で女性スタッフが清掃に入っており、“そこまでするの大変なのでは…?”と心配になるくらいあちこちまで管理が行き届いていました。
あと、ドミトリーのベッドがとても広々しているので、半個室のような気分を味わえます。

ドラキュラ伝説のモデルのブラン城へ

さて、ブラショフの郊外には、ルーマニアに来たなら絶対に外せない一大観光地があります。

それは、ドラキュラの城“ブラン城”

なんでも巷では、“ルーマニアと言えばドラキュラ!ドラキュラと言えばブラン城!”というくらい定番の観光地になっているようなので、ここは私も流れに乗って足を運んでみたいと思います。

ブラン行のバスは、ブラショフ郊外の上の地図の場所から出ています。
少し遠いですが歩けない距離ではないので、市街地からバス停までは徒歩で向かいました。

こちらがそのバス乗り場。
こちらがって…どちらが?というくらい大して何もないような閑散とした場所です。

バスは1時間に2本程度のペースで出ているようです。(時間帯と曜日によっては違うかも)

ポツンと一台停まっているバスがあったので声をかけてみたら、それがブラン行きでした。
フロントガラスにも“BRAN”と表記があるので分かりやすいです。
お値段は片道13レイ(約420円)。

バスは40分程でブランの町に到着。
町といっても目立つ市街地はなく、お土産屋や商店がぽつぽつと建っている感じです。
バスの降車位置から城のチケット売り場は歩いて数分です。

こちらがそのチケット売り場。
料金は70レク(約2300円)となかなかのお値段です。

チケット売り場でチケットを買い道なりに進んでいくと、中々雰囲気のある城が見えてきます。

城の手前には大きな十字架・・・。

たしか、ドラキュラは十字架が大嫌いという設定だったと思うのですが、さすがにその設定に合わせて歴史的価値のある十字架を撤去…というわけにはいかなかったのでしょう。

ここで、このブラン城はどういう城なのか?そしてなぜドラキュラ城と呼ばれているのか?について触れたいと思います。

ブラン城は、もともとドイツ人がこの地を守るために要塞を築いたことからはじまりました。
その後、この地にあったワラキア公国という国のミルチャ老公という人物がここを居城としたそうです。

そんな、ごく普通の歴史を持つ城がなぜドラキュラ城と呼ばれているのかというと、有名小説「ドラキュラ」のモデルとされている人物が、ここに住んでいたミルチャ老公の孫だから。

ミルチャ老公の孫のヴラド三世は、敵を串刺しにして晒すなど残忍極まりない手段で国を支配したことから“串刺し公”という別名まで持っていたそうです。
この残忍な史実からインスピレーションを得たアイルランドの作家が、19世紀に小説『ドラキュラ』を出版したところ、大ヒット!
こうして、ブラン城は、ドラキュラ伝説の城として有名に。という流れのようです。

・・・不自然な点があることにお気づきでしょうか。

まず、ブラン城に住んでいたのはドラキュラのモデルのヴラド三世の祖父であり、本人はこの城に住んだことはありません。
さらに、小説の作者のブラム・ストーカーさんは一度もルーマニアに来たことはなく、作者本人が『ドラキュラ城はイギリスの城がモデルだよ』とまで言っているそうです。

・・・この際、はっきり言って良いでしょうか。

ブラン城とドラキュラ、無関係すぎ・・・!

まぁ…そうは言っても来たからには一応城には入ります。

城の中は、ドラキュラ伝説の恐ろしさとは裏腹におしゃれで暖かな空間が広がっていました。

これは、この城に最後に住んでいたルーマニア王国のマリア王妃の趣味なのだそうです。

元々の城の威厳を台無しにするレベルの、可愛いらしいクリスマス装飾。
しかももう、クリスマス終わっているのに。

マリア王妃が一番お気に入りだったという、暖炉のあるダイニングルーム。

マリア王妃は可愛いものが大好きだったようで、彼女の趣味によって改装されたという城の内部は中世の面影ほぼ無しw

唯一中世っぽい雰囲気を感じさせるのは、その辺に置かれている甲冑。誰のよ。

なんにせよ、ドラキュラのイメージに合うようなホラーな印象はこの城には皆無w

・・・と思っていたら突如現れました。
ヴラド三世(ドラキュラのモデル)のマネキン!
繰り返すようですが、彼はこの城に住んだことはありません。

そして、なぜかいきなり始まったお化け屋敷的なコーナー。

もはや、「ドラキュラに期待してここに来た人に何かしらそれっぽいもの見せとかないと…!」という意図が手に取るように分かります。

上の写真は、“ルーマニアの幽霊”的な内容の展示。
もはや、ドラキュラですらない。

そんな感じで、ブラン城の見学は終了。
最後のお土産屋さんには、ドラキュラグッズが大量に売られていました。

ちなみに、城の中には中世の拷問かなにかに関する展示もあるのですが、そちらはなんと別料金。
物価が比較的安いといわれるルーマニアで、2300円も入場料徴収した上に、中に入ってからも更にお金を取るとは!
無礼を承知でモノ申しますが、少々図に乗ってはいないでしょうか!
私はもちろん入っておりません。

以上、ブラン城レポートでした。
このお城に、多くを求めてはいけません。
ただ、このチグハグな感じを生で見てみたいという方は、足を運んでみても面白いと思います。

外観は中々それっぽい雰囲気のあるドラキュラ城もといブラン城。

なかなか突っ込みどころ満載でした。
さて、ブラショフの街に帰ります。

帰りは、来た時に降りたのと反対車線のそれっぽい小屋の前で待っていたらバスが来ました。
帰りも来た時と同じ13レイ。

ブラショフに戻った後は、ルーマニアスイーツのパパナッシュをいただきました。
知人に「ルーマニアに行ったら絶対食べて!」とおすすめされていたのですが、上品な甘さともちもち食感がクセになるかんじで大変美味でした。
このパパナッシュは、ここブラショフが発祥の地なんだそうです。
ブラショフに行ったらぜひご賞味あれ。

さて、次回は世界遺産の町“シギショアラ”に移動していきたいと思います。

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