【インド⑤】スジャータ村訪問、そしてバラナシへ

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《2023.9.6》

今日は、ブッダガヤ郊外のスジャータ村へ足を運んでみたいと思います。
以下、スジャータ村について簡単に解説を。

スジャータ村とは

2600年前、生死の境をさ迷うほど厳しい苦行を行ったブッダ。それでも悟りは開けず衰弱していたところに、近くの村に住んでいたスジャータさんがミルク粥を施しました。
ミルク粥を食べたブッタは心身ともに回復し、そのおかげで無事に悟りを開くことが出来ました。
ミルク粥の伝説を持つこの村は、スジャータさんの名前に因み“スジャータ村”と呼ばれるようになりました。

♪スジャータ、スジャータ―♪でお馴染みのコーヒーミルクの『スジャータ』の名前の由来も、このミルク粥伝説から来ているんだそうです。

この村には、ブッダガヤから徒歩30分程で歩いて行くことが出来ます。

ブッダが沐浴をしたとされる干上がった川を超えれば、そこはもうスジャータ村です。

村に入って少し歩くと、巨大な壊れかけのストゥーパが見えます。
これは、スジャータさんの家の跡だと言われているんだとか。

さて、ここで、人懐っこい笑顔の青年に声を掛けられました。
彼はこの村に住んでいるとのことで、勝手に英語による村案内が始まりました。
後から金銭を要求されても困るし…と思いやんわり断るも、「色んな国の人と喋ってみたいし、この村のこと知って欲しいから」とニコニコしながら付いてくる彼。
結局振り切ることが出来ず、この日は一日彼と行動を共にすることとなりました。

彼の案内で、スジャータがブッダにミルク粥を施したというゆかりの地へ向かいます。

到着。
そこは、こじんまりとしたお寺がありました。

ミルク粥を施されるブッダのモニュメント

ミルク粥を施されるブッダのモニュメント(その②)

ミルク粥を施されるブッダのモニュメント(その③)

いや、半径5m以内に全く同じテーマのモニュメントを3つも作るとは、一体どういう心境なのでしょう。
「私の方がもっと上手に作れるし」とか、そういう闘争心でしょうか。

ここでは、木陰に座ってのんびりと時を過ごしました。
というか、主には勝手についてきた彼のマシンガントークに耳を傾けていました。
彼の名前はパンカジ。
はじめはスジャータ村や仏教ゆかりの地について熱心に教えてくれていた彼の話は、途中でどう脱線したのか、気付けば恋バナになっていました。
彼には微妙な関係の想い人がいるとのこと。
彼女はタイ人で、観光でこの村に来た時にガイドをしたのをきっかけに知り合い、その後もオンライン通話で交流しているんだそうで…

「その気があるような素振りを見せるのに、いざタイに会いに行く話を勧めようとするとはぐらかされたりするんだけど…どう思う??」って。。

知るかっ!!!!

婚活に失敗してこの年で世界放浪してる私にそんな相談、荷が重すぎるわ!
そして、なぜ私はインドの辺境の村でインド人とタイ人の恋愛のもつれ話を一時間以上も聞かされてるんだ。

たっぷり1時間以上身の上話を続けた後、彼は「うちに寄って、お茶を飲んでいきなよ!」と勧めてくれました。
外国で他人の家に行くのは大変リスクのある行為だというのは重々承知の上ですが、これまでの様子から、私には彼がただの人懐っこい青年であるようにしか思えず、若干半信半疑ながらもこの招待を受けることにしました。

彼の家は本当に寺から歩いてすぐのところにありました。
玄関先では、彼のお母さんやお姉さんと思われる女性が、米に混じった小石などを選り分ける作業をしていて、見ず知らずの私を笑顔で迎えてくれました。

家の中に入ってびっくり。
こんなことを正直に言うのもどうかと思いますが、その家は私が想像していたよりも遥かに粗末だったのです。
パンカジは白いシャツにジーンズ姿という割と身綺麗な恰好をしていたし、他人を自宅に招待する行為などからもそれなりに良い家に住んでいるものと勝手に思いこんでいたのですが、実際は全くそうではありませんでした。
通された部屋には小さなベッドと机が一つ。
床は土のままで、ドアには扉もありません。
壁の塗装ははげ落ち、あちこちに虫が這っています。
天井からはつくのか分からないような豆電球が一つぶら下がっています。

いくつ部屋があるのか知りませんが、彼はこの家に両親や兄弟やその子供たちと一緒に暮らしているとのこと。
この家の経済状況が気になったからというわけではありませんが、私は彼に「仕事はどんなことをしているの?」と質問をしました。
彼は、恵まれない子供を支援するための学校で運営に関わっているがほとんどお金にはなっていないとのこと。あとは近所の農作業なんかも手伝っているそう。

そして、私の感じた事を察してかどうかは分かりませんが、彼はこんなことを言いました。

「日本ではきっとみんなもっとたくさん仕事をして、もっとお金をたくさんもらって、豊かな暮らしをしているんだろうね。でも僕は日本に住みたいとは思わないよ。日本人みたいな働き方は出来そうもないし、家族と一緒に毎日ご飯を食べて一緒に暮らせるここでの暮らしが一番幸せだからね。」

ふーん、なるほど…。

マザーテレサは『最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思いだ』と言ったそうです。
パンカジの家は一見とても粗末で貧しく見えますが、そこには仲睦まじく暮らす家族がいます。
日本人から見れば、石の混ざった米を食べ毛虫が壁を這いまわっているような家での暮らしは“幸せな暮らし”とは思えないに違いありませんが、パンカジはここでの暮らしが一番幸せだと言います。
彼の持っている“幸せ”の物差しはきっと日本人のそれとは全然違うのです。
日本人にとっては目に見える豊かさが“幸せ”の一つの基準になっているように思いますが、彼にはたぶんそういう感覚はあまりないのでしょう。
どっちが正しいとかそういう話ではありません。
ただ、いろんな“幸せ”の形があるということを実際に目の当たりにして、うーん、なるほどな…と思ったという話です。

彼の家で飲んだチャイは、温かくて甘くておいしかったです。

パンカジは「晩御飯も食べていきなよ!」と勧めてくれましたが、日が落ちた後に帰るは少々怖いしさすがに遠慮ししてブッタガヤへと戻りました。

晩御飯は、Fujiya Green Restaurantにて。
ここは全く日本食屋などではないのですが、オーナーが日本通らしく、日本食っぽいメニューもいくつか用意されています。

その中で私が頼んだのが、“Oyakodon”。

…食べなくても、それが日本の親子丼とはかけ離れたものであるということは察しがつきます。
トマトやらなんやら、通常親子丼には入り得ないものがたくさん入っています。
もちろん出汁の風味などは皆無で、その代わりによくわからない香辛料がたっぷりと加えられており、その味はもはや修復不能レベルです。

ただ一点、卵が半熟という部分だけは忠実に日本の親子丼を再現しており、明らかに生食を前提としていないこの国の卵を半熟で食べて大丈夫なものかどうか、大変不安になりました。(結果、おなかを壊すことはありませんでした。)
インド人がオリジナルで作った日本食を食べてみたくなったら、ぜひこちらのレストランに行ってみることをお勧めいたします。(もちろん現地メニューもたくさんあります)

≪2023.9.7≫

本日は、2泊したブッダガヤを離れ、バラナシへ移動します。
列車は午後なので、午前中はしばし観光。

訪れたのは、ブッダガヤ考古学博物館です。

ここは、インドにしては珍しく外国人専用料金なしで、誰でも10ルピーで入場可能という大変お財布に優しい博物館です。


世界遺産のマハーボディー寺院を修復した際に出土した仏像や建物の柱等をはじめ、主に古い彫刻などが展示されており、エアコンも効いていて快適に鑑賞が出来ます。
仏像が大変美しく、つい時間を忘れてじっくりと鑑賞…。

その結果、気付いた時には出発予定の時刻を大いに過ぎてしまっていました。

さぁ大変!宿で荷物をピックアップし、急いでガヤ駅に向かいます。
駅までは1時間弱の距離ですが、この時点で電車の時間まで残り1時間ちょっきり。

しかし、こんな時に限って、トゥクトゥクのドライバーさんは、インドでは珍しく超安全運転でした。
後ろから来る他の車のために、いちいち路肩に停車してまで道を譲るほどの思いやり走行。

(心の声)おじさんお願い!急いで!

しかも、途中で山や仏像が見えるといちいち停車し、「ほら、山だよ。」「涅槃物が見えるよ。」と説明してくれる優しさ付き。

(心の声)おじさんお願い!急いで!

終いには、途中で止まって、持っていたお菓子を分けてくれようとしはじめた、、、。

「おじさんお願い!!急いで!!!!!」あ、声に出ちゃった。

私が急いでいることを察した彼は、次の瞬間人が変わりました。
アクセル全開。どんなに道に凸凹があってもスピードを緩めることなく突っ込みます。
今までクラクションなど全く一度も鳴らさなかったのに、けたたましく『びーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!』と爆音を響かせ、あおり運転の鬼のごとく次々と他の車両を煽り、それまでの倍はスピード出してるのでは?と思うほどの爆速走行!!

おかげでなんとか列車の時間前には駅に到着。
焦らせてしまって申し訳なかったので、彼には予定の300ルピーに50ルピーのチップを乗せてお渡ししました。

さて、バラナシに向けて出発です。

ガヤからバラナシまではものの4時間程。
向かいの席の赤ちゃんがぐずってぐずって…お腹が痛いのか何度も座席でうんちのおむつ替えもしていて大変そうでした。
今回もエアコン3等にしたけど、日中なら一つ下のスリーパークラスでも良かったかもしれません。
時間はほぼ定刻にバラナシ駅に到着。

到着するやいなや、日本人という恰好のカモを見つけて群がってくる客引き軍団。
それにしても、みんな人相の悪いこと…

人って、性格や考え方がある程度人相に表れていると思います。

ぱっと見た瞬間、理屈抜きで「あ…この人と喋りたくない。」という人が世の中には存在していて、こちらから頼んでもいないのにしつこく客引きをしてくる人たちは大抵それに当てはまります。

結果、客引き軍団の客引きには乗らず、Uberで宿へ。

それにしても、バラナシの街の騒々しいこと!!
デモかストライキでもやってるのかと思うほどの大騒ぎです。
到着10分にして既に一生分のクラクションを浴びせられた気分になりながら何とか宿に到着し、この日はこれにて終了。

明日からバラナシ観光が始まります。

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