《2023.11.8-9》
ブハラからヒヴァへ
ブハラからヒヴァへは、夜行列車を利用しました。
予約は前回と同じく、ウズベクスタン鉄道のホームページから行いました。
夜行列車の出発時間は夜中の12時37分だったので、時間までブハラの宿で時間潰し。
とっくにチェックアウトしているのにも関わらず快く夜遅くまで共有スペースを使わせていただき、ありがたい限りでした。
ウズベキスタン鉄道の夜行列車の構造はインド鉄道のそれとよく似ていますが、私が乗った列車は全て2段ベッドでした。(インド鉄道は2段と3段がある)
座席の下に荷物を置ける場所がほぼ無く、その分ベッドの上に荷棚があるのもインド鉄道とはちょっと違うところ。
さて、指定の座席に行くと現地民のおばあさんが私の席に横になり、すっかりくつろいでいました。
「ここ、私の席なんですが…」と伝えても全く起き上がってくれず…。
え…?ここ、インド鉄道じゃないですよね…?
困っていたところ、通りすがった乗務員さんが別の席を案内してくれました。
言葉が分からないので真相は定かではありませんが、おばあさんの本来の寝台は上段で、上り下りがきついので近くに空いていた私の席を勝手に陣取ったものと思われます。
買う時に、上段か下段かは自分で選べるんですがね…。
私が買ったチケットは150000スム(1700円)の一番安いものでしたが、シートにはマットレスと枕がついており、洗濯済みのシーツも配られました。
但しブランケットの貸し出しは無く、シーツをかぶるも寒くてほとんど眠ることは出来ず…
そうこうしているうちに空は朝焼けに染まり始め、列車は朝7時過ぎにヒヴァの駅に到着。
ウズベキスタンは、Yandex goという配車アプリが主流ですが、ここヒヴァはYandex goが使えません。
ヒヴァ駅から旧市街は決して歩けない距離ではありませんが、ブハラで同じ宿だったマレーシア人の方と、たまたま駅で出会った日本人大学生くんが「3人でタクシーシェアしませんか?」と声を掛けてくれたのでそのようにしました。
ヒヴァ観光
早朝でしたが予約していた宿に荷物だけ置かせてもらえたので、早速ヒヴァ観光開始です。
ヒヴァの見どころは“イチャン・カラ”と呼ばれる城壁の中の旧市街に集中しており、この旧市街は世界遺産にもなっています。
城壁のあちこちにはお墓がくっついています。
ウィキペデア先生によりますと、
“かつてヒヴァには城壁に死者を埋葬する旧習があり、埋葬された人骨の一部は城壁の表面に露出している”
とのことで…
…って、露出はまずいのでは…?
調べてみたところ、昔この地方に栄えたホレズム文化の時代からの風習で、この分厚い城壁の中には数千体もの死者が埋葬されているんだそうです。
大変不謹慎ですが、私の脳内ではこの外壁がすっかり進撃の巨人に出てくるそれに見えております。
死者が外敵から町を守ってくれるとか、そんなイメージがあったのかなぁ。
幸い、露出しているところの発見には至りませんでした。
さて、“博物館都市”といわれるヒヴァは、その名の通り旧市街のあちこちに博物館や歴史あるモスク、メドレセなどが点在しています。
それらに入場する場合、各施設での入場券のばら売りはしておらず、ほぼ全ての施設に入場できる“共通入場券”が必要です。※一部別途入場料が必要な施設あり
というわけで、共通入場券購入。
チケットは西門の横にあるチケットオフィスで購入できます。
お値段15000スム。(1700円ちょっと)
有効期限は2日間です。
ちなみに、コロナ前まではイチャンカラの城壁内に入場するだけでも50000スムの入場料が必要だったようなのですが、2023年11月現在は城壁内に入るだけなら特に入場料は掛からず自由に行き来できました。
ただし、これは近々変更される可能性があるのではないかと思います。
なぜなら、外壁に4つある各門の横で、新品の入場ゲートらしき装置の設置準備が進められていたからです。
壁の内部に入るためには無条件でチケットが必要…という日も近い、、かもしれません。
チケットの裏についている地図によりますと、この共通入場券で入れる施設は全部で18か所あるようです。
では以下、イチャンカラ観光の様子を、写真と一緒にかいつまんでご紹介します。
まず西門を入ってすぐ見えるのが、カルタ・ミノル。
カルタ・ミノルとは“短いミナレット”という意味らしく、その名の通りずんぐりむっくりしたミナレットの出で立ちがとてもかわいらしいです。
しかし、これは未完らしく、もし完成していたら80メートルの高さになっていたとか。
続いてこちらはクフナ・アルタ。
17世紀に建てられた宮殿で、中には公邸やモスク、火薬工場から造幣場まであったそうですが、現在はそれらの建物は博物館になっています。
ヒヴァの歴史などが展示されており、中々充実の展示内容です。
敷地内にある見張り台からは、イチャンカラを見渡すことが出来ます。
クフナ・アルタ前の広場はかつて処刑場として使われたらしく、監獄博物館も併設されています。
かつてのヒヴァの恐怖政治は中々のもので、罪に問われた者は残虐な方法で処刑され見せしめにされたんだそうです。
当時禁止されていた飲酒や喫煙の罪を犯した者は、口を耳まで切り裂かれてまるでいつも笑っているような顔にされたんだとか。
ブハラもそうでしたが、ウズベキスタン各地の歴代君主は恐怖で人々を支配しようとするやり方が多かったようです。
イチャンカラ内にはもう一つ王の宮殿があり、それがこちらのタシュ・ハウリ宮殿。
すでに宮殿があるのに更に豪華な宮殿を作らせるなんて、当時の王はどれだけ贅の限りを尽くしていたのでしょう。
宮殿内は、まるで迷路。
当時はここにハーレムがあり、王は意のままに暮らしていたようです。
続いてこちらは、ジュマ・モスク。
たくさんの柱があるモスクで、一番古い柱は10世紀のものだそうです。
続いてこちらは、イスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。
メドレセの中は伝統衣装などの博物館になっています。
ミナレットは別料金100000スム(1100円)で上まで登れるそうですが、私は上りませんでした。
このメドレセとミナレットを作ったイスラーム・ホジャという大臣は、ヨーロッパから取り入れた知識で町の発展に貢献し、そのカリスマ的なリーダーシップから国民に大人気だったそうです。
しかし、それを良く思わなかった王様と聖職者の陰謀により、最後は生き埋めにして殺害されたんだとか。
この時代の権力者のやり方は、知れば知るほど本当にイライラします。
王はそんなに多くの人の命を簡単に奪って、少しも罪の意識に駆られることはなかったのでしょうか。
国民は、一念発起して王に反旗を翻そうとは思わなかったのでしょうか。
残忍な歴史絡みでもう一つ。
こちらは、イチャンカラの東門で、かつてここには300年もの間大きな奴隷市場があったんだそうです。
ヒヴァの王は、近隣の住民や旅人、南下してきたロシア人などを襲わせて売り出したそうで、1873年にロシア軍に降伏させられるまではこの門の付近には3万人もの奴隷が鎖でつながれていたんだそうです。1873年というと今からたった150年前のことです。
150年後、この地がこんな一大観光都市になって世界中から多くの観光客が来るようになるなんて、当時の人たちは想像すらしなかったことでしょう。
ヒヴァには平和が訪れたとは言え、世界では今も人権が守られているとは言えない出来事が沢山起きています。
この地でひどい仕打ちを受けた人たちの無念が少しでも晴れていますように。
そして、世界が何度も同じ過ちを繰り返しませんように…。
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というかんじで、他にもイチャンカラ内には多くの見どころがありますが、全部紹介するとどえらいことになるので割愛します。
イチャンカラは十分に徒歩で回れる広さで、各施設に入場せず雰囲気を楽しむだけなら半日で十分回ることができます。
共通入場券を買って各施設をじっくりと観光すると丸一日は掛かるかな、といったかんじです。
ちなみにイチャンカラ内には地元の人が普通に暮らしています。
土壁で作られた民家の間の路地を散歩するだけで、まるで違う時代にタイムスリップしてしまったかのような非日常感を味わうことが出来ます。
あと、ヒヴァの見どころは昼間だけではありません。
夜が近づくと町がライトアップされ、昼間とは違ったロマンチックな雰囲気を味わうことが出来ます。
その光景がとにかく、、
ばえる!!
ばえる!!!
ばえる!!!!
町のあちこちではおそらくSNSに上げる映え写真を撮影しているのであろう若者たちが方々の路地でポーズをきめながら写真を激写していました。
どこもかしこもテーマパークさながらにライトアップされていて、正直ちょっと風情が台無しな気もするのですが、観光客をひきつける効果は得られているようです。
さて、これにて朝から夜まで充実のヒヴァ観光は終了。
ヒヴァはサマルカンドやブハラなど他の観光都市からは少し距離がある為、飛ばしてしまう方も多いようですが、実際に来てみると大変素晴らしい町でした。
この土地の深い歴史と、シルクロードの時代にタイムスリップしたかのような激映えする街並みは、絶対に来た人を後悔させない魅力があります。
次回は、ヒヴァ近郊にある古代ホレズム王国の遺跡巡り、通称“カラまわり”に行ってみたいと思います!
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