【ウズベキスタン⑧】サマルカンドから日帰り“シャフリサブス”観光

世界一周日記
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《2023.11.15》
大人気の世界遺産の街サマルカンドから車で2時間程の場所に、知られざるもう一つの世界遺産があります。
それが、“シャフリサブス歴史地区”です。

シャフリサブスとは

紀元前からの長い歴史を持つ古都で、かのティムールの生まれ故郷。
ティムールは故郷への思い入れが強く、シャフリサブスには当時首都サマルカンドに匹敵するほどの数多くの壮大な建築物が築かれた。
その遺構はかつてこの地に優れた建築物が多数存在していたことを証明しており、世界遺産に登録されている。


ティムール?知らないなぁ…なんて言っている人!
世界史赤点レベルです。(←私)
私みたいな世界史赤点組の為に説明しておきますと、ティムールは14世紀に一代で超巨大帝国を築いた軍事的天才と言われる人物です。
征服した都市では破壊や虐殺を行う残忍な一面もあったようですが、ウズベキスタンでは、チンギスハンに破壊されつくされた街を再建した偉大な指導者として今でも大人気。
ウズベキスタン人の前で「ティムール?誰それ?」なんて言った日には、大顰蹙を買って外を歩けなくなるほどの超重要人物なのです。

そのティムールが誕生した街“シャフリサブス”。(正確には誕生したのはその近郊の村だったらしいけど)
偉大な王が故郷として生涯思い続けた場所とは一体どのようなものだったのでしょうか??
早速行ってみたいと思います。

サマルカンドからシャフリサブスへ

シャフリサブスは、サマルカンドから距離にして80㎞程のところにあります。
行き方については、ネットで調べても今一つはっきりした情報が見つからず…。
ここは地元民に聞くのが一番!ということで、少し英語の出来る宿のおばちゃんに行き方をたずねました。
おばちゃん曰く、“バスは無いと思う。あるのか分からないけど一般的じゃない。シャフリサブスへは皆、シェアタクシーを使っているよ”とのこと。

「1人50000スムくらいで乗せてくれると思うけど、外国人だから吹っ掛けてくるかも。もし交渉出来なそうだったら私も一緒に行ってあげるよ!」
と言ってもらいましたが、まずは自分で交渉してみるべく、おばちゃんにお礼を言って宿をあとにしました。

シェアタクシーは、乗り場でも何でもない普通の道路脇にたむろしています。
下の地図の赤印の辺りがそうです。

ちなみに、他の方の複数のブログに「シェアタクシー乗り場は、レギスタン広場の近くのスーパーの横」と記載があったのですが、2023年11月現在、スーパーだったと思しき場所は工事中でフェンスに囲われていました。
スーパーを目印に乗り場を探しても見つからないので要注意です。
(下の写真参照)

時刻は朝の9時。
シェアタクシー乗り場に近づくと、こちらから声を掛けずともおじさんが「シャフリサブス!!?」と絡んできます。

料金を聞いたところ、片道100000スムとのこと。
いやいやいや、おばちゃんに聞いてた相場の倍!
50000スムで交渉したもののあちらも中々引かず、結局片道60000スム(700円ちょっと)で方が付きました。
時に、ウズベキスタン人(特に男性)との交渉のコツは、おねだり風にかわいらしく振舞うことではないかと思います。
インド人と交渉する時みたいに強気の態度で毅然と接すると、反ってあちらも折れてくれなくなるような気がします。
生憎私には愛嬌やかわいらしさが微塵も備わっていない為、この多少割高な値段は致し方ありません。

車は人が集まったら出発するスタイル。
とは言っても、運転手の他に4人しか乗れない普通の乗用車の為そこまで長いこと待たされはしませんでした。10分程度だったかな?
私以外は全員地元民。

シェアタクシーはかなり豪快な運転で飛ばしまくり、2時間弱でシャフリサブスに無事到着です。

シャフリサブス観光

ティムール朝時代、サマルカンドに匹敵するほど多くの建造物が建築されたシャフリサブスですが、その多くは今は残っていません。
なぜなら、ティムール朝の次にこの地を支配したブハラ・ハン国がその多くを破壊してしまったから。
一説によると、ブハラ・ハン国の指導者は、シャフリサブスの急な坂道で愛馬が死んでしまったことに激怒し、怒りに任せて街を破壊しつくしたんだそうです。
そんなクレイジーな人物がなぜ一国を率いていたのかという謎…。
そんなわけで、その時破壊を免れた一部の建築物が現在は世界遺産に登録されています。

では早速行ってみたいと思います!

アクサライ宮殿跡

ティムールが夏の宮殿として建設を命じたアクサライ宮殿。
シャフリサブス観光のハイライトで、シェアタクシーもここの前で止まってくれました。
24年もかけて建設された超巨大宮殿は、完成時の門の高さは70mもあったそうです。
現在残っているのは、写真に写っている門の一部のみ。
今残っている部分は35m程の高さしかないそうですが、それでも超巨大。
写り込んでいる人を見ればこの遺構がどれだけ大きいか分かると思います。
この門を目の前にした時は、なんだかゾクゾクとしてしまいました。
破壊されても尚この大迫力。
当時は、壁や天井が青いタイルだけでなく金細工で覆われ、門の先には壮大な宮殿が続いていたそうです。その光景の異世界感たるや、如何ほどだったでしょう。
この宮殿が破壊されずに残っていたら、きっとウズベキスタンの国名はもっと世界中に名を轟かせていたことでしょう。(決して今の知名度が低いと言っている訳ではありません。今より更にってことね。)
ただの壊れた門ではありますが、このアクサライ宮殿だけでも十分シャフリサブスに足を運ぶ価値はあると感じました。

時に、このアクサライ宮殿跡の周辺にはいくつか料金所が設けられていました。
門の真正面に伸びている通路にはなぜか料金所が無く、私はそこから普通に近づいて間近で見物してしまったのですが、本来は入場料払わなくてはならなかったのでしょうか…。ていうか入場もなにも、宮殿大きすぎて四方八方どこからでも丸見えなんですけど…それとも料金払えばどこか入れる場所が別にあるとか?謎。
ちなみに、掲示されていた料金は42000スムでした。

ドルッティロヴァット建築群(瞑想の家)

15世紀に、ティムールの孫であるウルグ・ベクが建造した複合施設で、モスクや彼の一族の墓などが集まった場所です。

アクサライ宮殿からは徒歩で20分くらい。
入り口にはばっちり料金所と回転式のゲートがあり、入場料は21000スム(250円程)とのこと。
これまでウズベキスタン各地のイスラム建築を見てきた私は、正直そのどれもが似たように見え始めており、正直“お金を払ってまでは入場しなくてもいいや”という心境でした。
以下、料金所の人とのやり取り。

私「残念だけれど、入らないことにします。では…」(立ち去ろうとする)
料金所の人「待って。なら150000スムにディスカウントしてあげるよ。」
私「(入場料のディスカウントってありなの…?)ありがとうございます。でもやっぱり。」
料金所の人「あー、じゃあもうタダでいいよ。」
私「え…?良いんですか?」
料金所の人「うん、モスクのドーム綺麗だから見てほしいし、入って!」

ありがたいけど…いいの?
入場料って、私情や人情で取ったり取らなかったりしちゃいけない気がするのですが。

ともかくそんな感じでサービスで入場させてもらった建築群のモスクは、確かに綺麗でした。

この国のほとんどのイスラム建築の装飾はタイルなのですが、ここの内部装飾は壁に直接描くフレスコ画です。
その為、これまで見てきた他のモスクとは違った繊細でやわらかい雰囲気があり、しばらくぼんやりと眺めさせていただきました。

モスクの正面には、ティムールゆかりの人物達の廟(墓)があります。

こちらも内部はフレスコ画。
かなり修復されているようで、天井が金持ちの家にあるティーカップみたいにキラキラしていました。

結果的にはタダで見学しましたが、ここなら250円払っても良かった気もします。
もっとも、私は一度も自分から「タダにしてほしい」などと交渉はしていませんが…。

ジャハーンギール廟

ドルッティロヴァット建築群からすぐのところ鉛筆のような屋根の形の建物があります。名前はジャハーンギール廟。
22歳の若さで馬から落ちて亡くなってしまったティムールの息子(ジャハーンギール)が眠っているそうです。
こちらも入り口に料金所があり21000スムとの表記があったのですが、こちらからお願いしたわけでもないのになぜか15000スムにディスカウントされました。
何なのこの入場料ディスカウントシステム。

中には誰かの棺と思われるものが。
立て看板には、“賢いものは努力と行動に頼り、愚かなものは富に頼る”という格言が書かれているのですが、その前に、これが誰の何なのかを書いておいて欲しい所です。
一説では、これはティームールが自分の為に造らせた墓だそうで、ティムールは故郷のシャフリサブスに埋葬されることを望んでいたんだそうです。(見れなかったけど本物の石棺は地下にあるっぽい)
しかし、亡くなったのが冬だったので雪に閉ざされてシャフリサブスまで埋葬しに来られなかったのでここにティムールが埋葬されることはなかったのだとか。
決してその代わりではないとは思いますが、この墓からは身元不明の2体のご遺体が見つかったそうで、一体誰なのか…そもそもこれは本当にティムールの墓だったのか…今となっては分からず仕舞いです。

敷地の中には大木が一本。
これは、言い伝えによるとティムールが植えたそうです。
もしそれが本当なら樹齢は600年くらいということになるのであながちあり得なくもない話です。
まぁこれも証拠があるわけではないので真偽の程は不明。

そういえば、肝心のジャハーンギールの墓はどこにあったのでしょう。まぁ…いいか。

シャフリサブス歴史地区と世界遺産登録

以上の3つの遺産があるシャフリサブス歴史地区は、2000年に世界遺産に登録されています。
しかし2016年には、危機にさらされているとして危機遺産に認定されてしまいました。

なぜかって、観光地として期待されるあまり、過度に整備され過ぎたから。

どのくらい整備されているかというと、

このとおり。

堂々たるティムール像の後ろに見えるのはアクサライ宮殿跡。
つまり、この辺りはかつて宮殿が建っていたはずの場所。
それが、完全に地をならされ、コンクリートで舗装され、超巨大な銅像まで建っています。
いくら破壊されたとはいえ地中にはまだ建物の基礎や当時の痕跡が残されていそうなものですが、こんなに整備されては発掘の余地もありません。

アクサライ宮殿跡からドルッティロヴァット建築群に続く道も、ほれこのとおり。
完璧に舗装され、芝生も敷かれ、木まで植えられています。
この下にもきっと当時を偲ぶ遺跡とか眠ってそうなものですが…。

きっと世界遺産に登録されたことでウズベキスタンの人たちは歓喜したのでしょう。
そして、より多くの人に来てもらおう!ならもっと綺麗に…印象良くなるように…と暴走して手を尽くした結果がこれなのでしょう。
正直、ウズベキスタンの世界遺産はどこも過剰に手を加えられすぎている気がします。
維持していくための修復はもちろん必要でしょうが、この国のそれは“維持の為というより見栄えをより良くする為なのでは…?”と感じることが度々あり…。どこの遺跡がどうとは言いませんが…

歴史ある古いものを維持していくというのは、私なんかが思うより相当大変なことでしょうし、特にこの国の建物は土のレンガ造りで石などに比べるともろいので、思い切った修復も必要なのかもしれません。
でも、シャフリサブス含めウズベキスタンの多くの遺産が、観光客の誘致優先でこれ以上開発され過ぎないで欲しいなぁと思います。

シャフリサブスからサマルカンドへ

さて、シャフリサブス歴史地区の観光を終えてもと来た道を戻ると、なんとそこには来た時に乗ったシェアタクシーの運転手がいました。

英語が全く通じないのでよく分かりませんが、何度も腕時計を指さし「遅かったじゃないか!」というようなことを言っています。

え…私、帰り道も乗せてもらう約束した…?

もしかしたらおじさんは私を降ろす時に「帰りはここで待ってるからね」とかなんとか言っていたのかもしれませんが、なにせ英語が全く通じないので確認のしようもありません。

時刻はまだ13時過ぎくらいだったので、少し周辺をうろついたり市場にでも行ってみようかな?と思っていましたが、私を見つけて喜ぶおじさんを無下に出来ずそのまま乗車。

おじさんは、景色が良く見えるようにと私を助手席に座らせてくれました。
行きと同様他の客が集まるのを待ち、サマルカンドへ出発。料金は行きと同じ60000スムです。

さて、行きはうたた寝をしていたのでよく分かりませんでしたが、このおじさんは超スピード狂でした。
対向車が来ているにもかかわらず対向車線に飛び出して無理な追い越しを繰り返すので、何度“ぶつかる…!”と思ったことか。
対向車が目の前に迫ってくるド迫力の光景に、もはや目を開けることも出来ず。
脳裏によぎる家族、友人、生命保険…。こんなことなら助手席に座るんじゃなかった。

しかし、このおじさんはただのスピード狂ではなく、サービス精神旺盛なスピード狂でした。
景色がいい場所では車を停車して“写真を撮ってきなさい”とジェスチャーで合図してくれたり、頼んでもいないのに峠の市場で止まってくれたり、私の顔目掛けて飛んできたカメムシを摘まんで逃がしてくれたりもしました。

峠では、あまりの絶景に感動。
遥か昔から変わらないであろう絶景になんだか胸が熱くなりました。
ティムールもこの景色を見ながら峠越えをしたのかな、とか思ってみたり。

峠の市場では、謎の白い物体が大量に売られていました。
何なのか聞いてみたかったけど、シェアタクシーの他の乗客は誰一人降りることなく車内からこちらをガン見しているのでサッと見ただけで終了。
そんなかんじで、寿命が縮む思いをしながらも最後まで楽しんでサマルカンドへ戻ることが出来ました。

ちなみに、本来はシャフリサブスからはサマルカンド行きのシェアタクシーは出ておらず、近郊のキタブという大き目の町までタクシーで移動してからサマルカンド行きのシェアタクシーを捕まえなくてはいけなかったようです。
タクシーを乗り継いだりシェアタクシー乗り場を探したりする手間が省けたので、一方的とはいえ待っていてくれたおじさんには今思えば感謝。
シャフリサブスに行かれる方は、行きのシェアタクシードライバーに帰りも乗せてくれるかあらかじめ聞いてみると良いかもしれません。
シャフリサブス歴史地区の観光は、ゆっくり回っても3時間弱で足りるので、待っていてもらうのも手です。

さいごに

行くか迷ったシャフリサブスでしたが、思った以上に良い観光が出来ました。
特に、アクサライ宮殿跡の迫力はウズベキスタンで見てきた数々の遺跡の中でも特に印象に残りました。(整備され過ぎた周辺環境はともかくとして)
あと、思いがけず見れた帰りの峠の絶景が最高でした。行って良かった。

さて、これにて16日間滞在したウズベキスタンの観光は終了です!!

次は、飛行機に乗って石油で有名なあの国にひとっ飛びします。

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